【備忘録】中学受験の負の遺産

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〇受験年表

・中学受験失敗(11歳)
 →高校受験失敗
 →大学受験失敗
 →大学編入学試験失敗
 →留年
 →人間分析、改革改善
 →現在(25歳)
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〇全ての失敗の原初を成す、最初の失敗

 軽く14年くらいを年表にすると、上記年表のようになる。
 失敗という言葉がいくつもいくつも出てきているが、実質やらかした失敗は一つ。
 「中学受験の失敗」である。
 その失敗とは、不合格の事ではない。「受験の不合格=人生の失敗」と飛躍し、その精神的負債を引きずり続けてしまったことである。
 
 中学受験の失敗を、高校受験で清算せんとし、高校受験失敗……
 高校受験の失敗を、大学受験で清算せんとし、大学受験失敗……
 
 まるで、ギャンブルにはまる人間のようであった。
 
 自分は出来る人間だ。自分は出来る人間だと勘違いし続けていた。
 自分は、勉強をやる人間ではあったが、出来る人間ではなかった。

 それを分かっていれば、もっと、いい立ち回りがあったはずなのに。
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〇受験最悪の遺産

 単刀直入に言えば「見下し癖」である。
 
 中学受験に落ち、志望校に行くことが叶わず、公立中学に進学した自分は、周りを見下すことでしか、自分を立てられなくなった。
 
 新入生テストが1位だったという、一見華々しい出来事は、裏を返せば最悪の事象だった。
 俺は、この中で最も優れた人間だと飛躍したのである。
 自身は完璧だと疑わなかった。
 
 何らかの理由で人に引け目や負い目を感じた時も、理由を付けて合理化・正当化する卑怯者だった。
 
 本質の伴わない、ただの、虚勢張りだったのである。

 強く見えるだけの弱者だったのである。
 
 残念ながら、その見下し癖は、今もなお、俺に巣食っている。

 つい最近、個人間での頻発するトラブルに、異変を感じた。

 トラブルそのものではなく、頻発しているという所に焦点を当てると、俺の見下し癖が露わになった。

 知らず知らずのうちに、他者を見下しているのである。

 虚勢を張る癖がついている。

 それに気づいてからは、改善傾向にある。
 
 しかし、その悪癖の元凶を顧みてみると、やはり浮上するのは中学受験である。

 いろんな事をいろんな形で吸収する、更に成長の幅の広さ故に多感となる小学生時代の後半に、中学受験という道を無理やり選択してしまい、机と文章に向かってしまった。
 
 時間に限りがある以上、何かをやるという事は、何かをやらないという事に同義。

 中学受験をやることで、たくさんの物事が犠牲になる可能性があるという事を、俺は、自分の過去生を以て、ここに記す。
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〇更新記録

・2023年10月31日 記載

・2024年4月25日 更新
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