【備忘録】懺悔 ~加害者側に回ってしまったいじめの話~

 

 これは、小学校高学年の頃の話・・・

 しかし、2009年に問題が顕在化したというだけであり、問題の存在はもっと昔からあったはずだった。

 俺が唯一、加害者側に回ってしまった”いじめ”の話である。

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 相手方に許可はとってないため、当然、特定するような名称及びその予備軍は記載しない。

「その子は貧乏だった」

 理由、動機はそれだけである。
 諸悪の根源は、親なのかもしれない。
 いや、子のはずが無い。
 正確な根拠は「その子が生まれ落ちた家庭は、貧乏だった」である。

 クラスの、その子以外の全員が、いじめ、辱しめる側に回った。
 今も色濃く脳裏に残る当時の惨状を追憶すれば、先生もいじめに加担していたように思える。
 ノートや鉛筆などを忘れるその子を、先生含め皆で非難した。

 恐らく、買えなかったのであろう。
 忘れたのではない。
 そもそも調達できなかったのである。

 ひょんなことから、そのいじめが明るみに出た際、小学5年の担任の先生は、皆の前で涙を流して怒った。
 
 5年生の時の先生は恩師だが、その涙は本物だったのかと、俺は今、疑わしく思う。
 いじめの事実は、皆で容認していた。
 いじめの存在が自然過ぎて、全くの罪悪感が無かった。

 それを、第2者である先生が、気づかないことがあるだろうか?
 いじめられっ子本人からは、相談は無かったのだろうか?

 公務員が何かをやらかした時、公共機関は、その本人に対し、過失を咎める、求請権を有する。

 もっとも、責任をなすりつけたがるのは人間の汚い本性であり、公務員の本性とするのは飛躍である。
 それでも、汚い教員が時々お縄に就くこともある。
 某塾講師がわいせつ罪で捕まったのも、記憶に新しい(2023年9月17日現在)

 実は、当時の俺も、別のいじめにあっていた。
 クラス全員が敵ではなかったが、数人、、、今でも煮えたぎる怒りを隠せないクズがいる。
 いや、クズだったのは、あくまで過去のそいつらで、今は真っ当な人間となり、クズの面影はない。
 だが、俺の怒りは残っている。

 俺は、自らに向けられたいじめのストレスをデトックスするために、その子へのいじめをやってしまったのかもしれない。
 いや、やってしまった。
 そうじゃないとみなせない以上、そうなのである。

 その子が、それから中学卒業まで俺と絡んでくれたのは、多分、動機の違いを汲み取ってくれたからだろう。
 虐められる俺に、同情していたのだろう。

 中学卒業と同時に別れ、10年・・・
 久しぶりにあったその子は、もう貧乏じゃなかった。
 家貧しくて孝子顕る・・・

 事業主か何かになったのか、非常に羽振りが良かった。きっと、身を燃やし砕くような努力をしたんだろう。

 だが、怒りの炎はまだ煌々と燃えていた。
「あの時の事、忘れてないし、忘れるつもりもない」
 淡々と、無感情で喋っていた。
 
 高校、大学、そしてとある会社において「いじめ」というより「同調圧力に組織された単細胞集団が、俺独りの敵に回る」というトラブルに見舞われた今となっては、そいつの怒りの炎がよく見える。

 熱い・・・痛い・・・

 人それぞれ、生まれた環境も、育ってきた環境も違う。 
 そうやって形作られた常識は、絶対に偏るし、異端者や少数派も現れて然るべき。
 似たもの同士はくっつき、アイデンティティを強く持つ人間は孤立する。
 類は友を呼び、対は友を放す・・・

 いじめは無くならない。
 無くなるはずが無い。
 だから、問題を無くすことではなく、起こってしまった問題にどう取り組み改善するかが、一番重要だ。

 取り返しがつく時点で、取り返しを付けろ。
 起こってしまったのなら、永遠と十字架を背負え。
 
 それが「善は急げ」の核心だ。
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〇更新記録

・2023年9月17日 記載

・2024年3月2日 更新

・2024年5月2日 更新
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